『僕の彼女はサイボーグ』

a0033530_22394787.jpg韓国人監督が撮った日本映画。キモイ表現方法や、小出恵介に対する過度な演出要求が気になるものの、それを差し引いても、綾瀬はるかの魅力をここまで引き出したクァク・ジョエン監督の能力は素晴らしい。監督は彼女をいかに可愛く美しく撮るかに、最大限の集中力を発揮したに違いありません。

ストーリー的にはHappy Endのはずなのに、観終わった後に何故か切なく割り切れない気持が残ります。

---【以下ネタばれ注意】---

主人公のジローが、過去の自分の身の回りに起こった不幸な出来事を回避するため、未来から送り込んだサイボーグ。そして彼女への恋心。
何も感情を抱かなかった彼女が、次第にジローの愛に目覚め、遂にはプログラムを超えて彼の愛を感じるようになり、自らを犠牲にしてまで彼を守り抜く。そんな純愛ストーリー...と思わせておきながら、最後の30分に大きな逆転構造が仕組まれています。
永遠の命と変わらぬ若さを実現するために、理想の彼女として作られるべきサイボーグ。ところがここでは、サイボーグとそっくりの女性が未来に登場し、その記憶をコピーして過去のジローに会いにくる。そしてジローの目を通して語られたストーリーが、今度は彼女の目を通して再構築されていく。。

ジローが愛したのは、2007年に最初に遭遇したサイボーグの記憶をコピーした人間の彼女なのか、一年後に現れたオリジナルのサイボーグなのか。

しかし良く考えてみると、未来のジローは、2007年の誕生日に一日だけ現れた彼女を理想のモデルにしてサイボーグ(正しくはガイノイド)を作ったのである。そうなるとオリジナルはやはり人間ということになり、両者の立場は再び逆転してしまう。
ファンタジー的な観方をすれば、「サイボーグ彼女」の想いが、100年以上の時を超えて、「人間彼女」として復活し愛の奇跡を起こす、というのが妥当な解釈なのでしょう。しかし、それにしては二人の関連性が何も説明されていないことに大きな違和感が残ります。この不自然さ故に、逆にサイボーグと人間の等位性が際立ってしまう。もしかすると、それこそクァク・ジョエン監督が仕組んだトリックなのかもしれません。つまり、どちらかがオリジナルであろうという安心装置が、作為的に外されているのです。

それは最後の最後のシーンで明らかになります。
瓦礫の中からサイボーグの亡骸を掘り出して抱き上げるジローの前に、タイムマシンで戻ってきた人間彼女が現れる。笑顔の人間彼女とは対照的に、サイボーグ彼女を抱いたまま困惑するジローの表情。彼が愛したのはサイボーグなのか人間なのか? どちらの彼女を愛していたのか? 彼女は果たしてオリジナルなのかコピーなのか?
映画はその問いを真正面から突きつけて終わります。この結末は、愛に目覚めながら成就出来なかったサイボーグ彼女にとってHappy Endなのか?
表面上はラブコメのスタイルをとりながら、最後にはその枠組みを見事に食い破ってしまう。相当なキワモノ映画です(笑)。そしてそれこそが、見終わった後に去来する割り切れない思いの正体なのかもしれません。
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  by risky_k | 2008-06-09 22:43 | risky_k's MOVIE/TV

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